●開催日:2014年7月19日(土)10時~:7月20日(日)10時
●参加チーム:253チーム
この大会は、なんといっても自分達が24時間過ごす場所を作るところからスタートです。テントを借りて指定場所まで運搬し、「あーだ、こーだ」とみんなで喧々諤々やりながらテントを設営。レンタルテントは小中学校の運動会のテントより重かったですが、その分丈夫で安心感がありました。
テントを立てたら、シートを敷いて福澤監督の持ってきた建築資材っぽいマットを贅沢に敷いて宿泊施設の完成。次にテーブルだの椅子だのをセッティングして、憩いの空間を演出。他のテントも参加者の皆さんそれぞれに色々工夫していて、見ていても楽しい。
なんてやっていたら、スタートまでわずかな時間しか残っていない。急いでスタートの準備をして号砲とともにスタート。今大会は253チームが参加。
我がチームのスタート走者は福澤監督、無理せず落ち着いてスタート。しかしスタート走者の中にはコニカミノルタの外国人選手も入っていて、福澤監督よりもそちらに目が…。すごいスピードで、まさに飛んでいるように走り抜けていきました。
我がチームは、家族を含めての混成チーム「MRCと愉快な仲間達」でエントリー。男性4人、女性5人の編成。しかし9人ではくつろぎの時間を作り出すにはちょっと厳しいかなと思っていたら、2周(1.6㎞×2)交代にすれば時間が作り出せるとのことで日中は2周交代、走り終えてから次の出走まで2時間弱休憩できました。ペースは落ちるけどその分ゆとりが生まれてテント内トークで盛り上がりました。夜間は更に睡眠時間を確保するため5周交代でのタスキリレー。チーム事情や目標に合わせて走行距離を変えられるのが、このリレーマラソンの魅力でもあります。
最初の1~2本は自分の順番が待ち遠しく感じても、何本か走り終えると自分の順番が来ないことを祈ってしまうのがこの24時間リレーマラソン。走り終えて帰って来た爽やかな人を見る度に緊張感やら憂鬱度が増して、覚悟を決めてスタート地点へ、を繰り返すことになります。走順が変わらない限り、特定の人が帰ってくると別の特定の人に走る順番を知らせるサインとなりますので、爽やかに走り終えて帰ってきても歓迎されずに「げっ、帰って来た!」と心の中で叫ばれ、嫌われ者として扱われ悲しい思いもします。そんなことを繰り返しているうちに日没を迎え夜に。
心配していた雨も限定的で、我がチームの場合は雨に選ばれた人が走っている時しか降りませんでした。雨男、雨女の確定です。しかしながら時折、雷も鳴ってちょっと激しく降ったりして中断の可能性も否定できないような状況もありましたので、事故もなく無事にレースが進んで本当に良かったです。
夜間は、路肩にネオンライトみたいなものが設置されました。「ライトが明るい!」、「いや、ただ眩しい」、「だけど肝心な路面がほとんど見えない」、ということで、その後スタッフの方々のご尽力により投光器が増設されていきました。路面が見えずらくて転んだ方もいたようでしたので、来年は最初から投光器の設置をお願いしたいものです。
夏の朝は、明るくなるのが早く4時を回ったら、あっという間にライトも不要な明るさに。と同時に応援の方々もすごく増えた感じに、なぜかランナーまでも増えた感じが!? 我がチームも再び2周交代のタスキリレーを開始しましたが、「寝起きで体が動かない」、「惰性でしか走れない」なんて言い訳をみんなでしながら、ラストランに向け残りの時間をどう走るか作戦を練り直し、ラストランを全員1周でつないで最後はアンカー福澤監督に繋ぐことになりました。最後の花道ですからね、と言いつつ、みんなもうこれ以上走りたくないっていうのが本音で福澤監督に押し付けちゃいました。
福澤監督に繋ぐには結構タイム的に厳しい感じもあったのですが、終わりが見えるとスパートが冴えわたり意外と余裕でアンカーへタスキを繋ぐことができ、福澤監督の感動のラストランでフィニッシュとなりました。毎度のことながらフィニッシュの後は何とも言えない開放感がありますよね。他のチームの方々も、これ以上ないというぐらい笑顔が弾けていました。
毎回思うのですが、大会会場の富士北麓運動公園はコンビニどころか民家も近くにない山の中じゃないですか。あの場所に住んでる動物とかから見れば、突然何事かとびっくりするような事態になっているのでしょうね。静かな自然の中で生きている皆さん、お祭りは終わりました。ゆっくりお過ごしください。
皆さん、また来年お会いしましょう。
(レポート/藤原 透・MRCメンバー歴23年目)