三浦礼子さん(44歳)
2006年MRC入会
走歴:15年
フルマラソンベスト:3時間08分09秒
「ホノルルマラソンに出たい!」と思い立ち、ほとんど走ったことがないにも関わらず2002年に1人で参加しました。
当然・・・後半は涙をこらえて必死に身体を動かし続けるというツラい経験をし、何とかゴールしました。4時間54分03秒でした。
ゴール後は「もう1mmも動けない。」と思いましたし、翌朝は起き上がるのも一苦労。ホノルルの街中では私と同じロボット歩きの方をたくさん見ました(笑)
そんな大筋肉痛の状態でも、時間がたつにつれて不思議と「来年もまた出たい」という気持ちが沸き上がってきました。ココから私のランニング生活が始まりました。
練習時間は臨機応変に
【早起きが苦手】【帰宅してからまた、走りに出かける気力が湧かない】という理由から、基本は帰宅ランです。
その日の疲れ度合いにもよりますが、20時頃までに仕事が終われば帰宅ラン決行と考えています。
残業や飲み会で夜に走れないと分かっている日は朝練を行い、早く終われる日は皇居や外苑で走ります。
練習はその日できる時間で行うようにしています。
帰宅ランはスタートできる時間やその日の気分・体調でコースを変えるので、たくさんのMyコースを作っています。
早くスタートできれば寄り道もします。
車で通ったら一瞬ですが、ゆっくり周囲を見て走っていると新しい発見(主に飲食店)が多く、ShopCardがあればもらって帰るのも楽しみの1つです。
自分の練習を見直す
2011年8月、練習中に左臀部から「バンッ」という大きな音がして走れなくなりました。
疲労が溜まっていた脚で、無理に刺激の強い練習を行ったことが原因だと思います。
歩く・階段をのぼる・イスから立ち上がる、こんな日常の動作で痛み、走らなくても治らないイライラの時期を1年以上過ごしました。
ケガをする前は月400~500km、週2~3回は皇居でビルドアップ走、疲れがあっても決めたらやる、という感じでしたが、このままではまたケガをするだけなので見直しました。
・月300km以上走りたいけど350kmは超えない
・週1回は休息日(水泳又は完全オフ)
・刺激の強い練習やレース後は、しっかりクールダウン
新しいルールで練習を重ね、2015年の静岡マラソンで大阪国際女子の資格(当時3時間13分以内)を取ることができました。
ここまでに3年半かかりました。
今はまた出場資格を失いましたが、【もう一度大阪国際へ】という大きな目標は常に持っています。
でもまた走れなくなることは絶対に避けたいので、調子の良い時ほど「このまま続けて大丈夫?」と、客観的に自分の状態を確認することを意識しています。
積み上げるのはコツコツ時間がかかりますが、崩れるのは一瞬でした。
また一度大きくダメージをうけると、元には戻らないと感じています。
【明日もまた走れる】ように、体調を考慮して内容・量のバランスを考え、見直していくことが必要と思います。
体調が優れない時は、まずしっかり治す
9月5日から喉痛と腫れで3日間入院しました。退院後もすっきりしない体調不良が続き、3週間走れませんでした。
喉の痛みはだいぶ前からうったえていたようですが、風邪気味の時など「走って汗かけば治るだろう」「今日、休めば治るだろう」「寝れば治るだろう」…と自己診断。
こんな荒療治でも何とかなってきたのですか、今回は悪化して走れない日々を過ごす結果となってしまいました。
体力はあっても、練習の疲労が重なればウイルスに負けます。これからは、しっかりウイルス撃退してから走るようにします!